新聞の片隅で。。。

  • 2008/04/20(日) 18:02:22

うちでは神戸新聞をとってます。

嫁は満足してます。

自分が住む町のことが詳細にのっているところが

お気に入りなのかもしれません。

私は 読売や 朝日など

強引な勧誘が多かったので あまり 勧誘のなかった

ひかえめな?神戸新聞が いいなぁと

思いましたので とっているのが

私なりの理由かもです。

新聞を読むときは どこから

読みますかって 聞かれることがありますが

私は だいたい 
 
端っこの 
小さな記事 や 隅っこの コラム や エッセイ

みたいなところから 読みます。

それは なんでかは わかりませんが

多分 それは 私が 隅っこに 目がいく 性質

だからだと思います。

先日 神戸新聞の夕刊での記事ですが

とっても 今度のお芝居を作る上での

私の想いと 
 にかよったものが ありました。

それを ちょっと ご紹介をば。。。。。。

まず タイトルは

「頑張って力を抜きましょう」


という言葉です。

書いたのは 神戸大学の大学院の教授さんです。

ご自分の個人的問題を自ら記すこととして

文章ははじまります。

(抜粋)

筆者は現在、ある仕事に関わる病にかかっている。

といっても仕事が進まないというのではない。

とにかく、何かをするに当たって、他人の評価が怖く

だからこそ逆に闇雲に仕事ばかりをするようになっている。

仕事を断ることにより、他人から信頼を失うことが

怖いからである。

仕事を一切断れず、また仕事をすればするほど

その結果が怖くて夜も満足に眠れない。

医者からは「不安神経症」と診断された。

とはいえ、医者は筆者にもう一つのことも教えてくれた。

それは現在の世の中では、筆者のような人間は

珍しくないらしい、ということである。

例えば、かつてであれば 一定のコース

「有名高校」→「有名大学」→「有名企業」に就職すれば

人々はそれだけで安定した生活と社会的評価を受けることができた。

しかし、現在はそうではない。どのような職に就こうと

それだけで社会的評価は確立せず、個人の評価は

職場やポストの名前でなく、実際の働きによってしか問われない。

しかしながら、自らの評価を常に一定以上の水準に

繋ぎ止めるのは至難の業であり、その過程で

多くの人が疲れ果てる。

逃げようはない。

問題はどうやって それを

「力を抜いて」


行えるかということである。


※ お芝居で 「力を抜いて」 というのは

  肉体的な ことを 言うことが多い・・・・・しかし

  本当は 精神的に 力をぬくことを意識しないと

  体も 力を抜けないのであります。

  精神と肉体は そういう意味でつながっている

  そう思います。

  「力の入ってない・・・ゆるやかな」芝居には

  「力の入ってない・・・・役者の肉体が」

  「力の入ってない肉体は・・・・力の入ってない精神が」

  求めるものは 何か 同じところに

  ある気がしています。

  この筆者は最後にこうまとめています。

  『力を抜くのは やっぱり 難しいようです。』と・・・・

  わたしたちも 頑張って 力を抜くことを

  第一義的な目標と 定めて

  練習の日々が もうすぐ はじまります。