みょうな気分 −やるせないのか そうじゃないのか 今 複雑ー
- 2008/06/17(火) 12:43:16
今日、宮崎勤死刑囚の死刑が
執行されました。
そのニュースを聞いて 『みょうな気持ち』に
なりました。
人が 人の手によって
裁かれるのは あまり気持ちよくない話ですが
さりとて 犯罪防止の観点から
死刑制度をなくすのも・・・・・・
複雑です。
尊敬する 「芹沢俊介」先生は
※「即刻恩赦を請求して下さい」という本人の手紙が
昨年関係者に届いたと聞いた。
彼は生きたかったのだろう。
宮崎事件には その後の神戸連続児童殺傷や池田小事件の原型の
ようなものを感じる。
家族や社会の中で自分の存在が認められていないのは
「透明な存在」と言った神戸事件の少年や、秋葉原事件の容疑者にも
通じる。
時代の病理性は強まっていて、彼を死刑にしても事件が
終わったことにはならない。
◆そのようなコメントをおっしゃております。
彼と同世代の人間であること そして 事件が起こった
1988〜1989年から 現在に至るまで、その事件の裁判の
成り行きを見続けていたこと、などなどが
ひとつの歴史として 私の心にあるのかな、そう思います。
芹沢先生のおっしゃる
家族や社会における存在感
それが 今 問われている気がきます。
高度消費社会になり 「MONO」を作っては すぐに捨てることが
必然となっている 社会が 次は 「HITO」も 同じように
あつかうように なってきているとしたら・・・・・・・
みょうな気分なときに
みょうな事を思ってしまいます。
でも なにからも 逃げずに 立ち向かうことでしか
答えは ないのだと思う限りです。
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